2013-02-23

2013年2月,東京上野,「書聖 王羲之」展

 東京国立博物館で3月3日まで開催中の「書聖 王羲之」展を見てきました。「世界で十指に満たない精巧な唐時代の摸本から,選りすぐりの作品」(展覧会チラシより)が展示されているとあって,入場待ちができるほどではないけれど,会場内はかなりの混雑でした。
 
 展覧会は「第一章 王羲之の書の実像」,「第2章 さまざまな蘭亭序」,「第3章 王羲之書法の受容と展開」という構成です。「書聖」と称される王羲之の美しい筆跡を眺めるだけで眼福を味わえるわけですが,書道は中学の習字の時間までという浅学の身には,だんだん集中力も落ちてきて,むしろその作品の背景を知ることが面白くなってきます。

 唐の太宗皇帝が彼の作品を愛好するあまり,「蘭亭序」を墓の中に持っていってしまったという逸話とか,清の乾隆帝が紫禁城の「三希堂」で眺めた「三希」のうちの一つが王羲之の「快雪時晴帖」だとか,広大な中国大陸ばかりか彼岸にまで話が広がるのだから,スケールが大きすぎます。

 そして第2章の終わりには「蘭亭序」の文字を任意に選んで作る対句が展示されているのですが,その一つ,「楷書七言聯」の作者名を見て声をあげそうになりました。その名は宣統帝(=ラストエンペラー溥儀)!その後の人生を知っているからそう感じてしまうのかもしれないけれど,数奇な運命をたどるその人の,凛としながらもどこかはかなげな筆運びにじっと見入ってしまう。
 
 「書とはどういう芸術か」(石川九楊著,中公新書)は書の展覧会を見たときには必ず繙くようにしているのですが,今回も「日本と中国の書」などとても参考になりました。この本にはたびたび「政治的」という単語が出てきます。「毛筆は刻具性を失ってはいない。それゆえ,毛筆について言えば,中国書史は,毛筆を鑿とのあやの中にどのような刻具の比喩と化すかという歴史でもあった。飛躍をおそれず言えば,それはまた政治の国の宿命であったとも言える。」(p.142より引用)

 難しいので,いったん本を閉じてお茶で一服します。台北故宮博物院の四階にある茶芸館の名前は「三希堂」だったなあ,鉄漢音もお菓子もおいしかったなあ,とおよそ政治的ではないことを思い出す。

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