2018-09-08

2018年9月,東京初台,イサム・ノグチ展

 オペラシティアートギャラリーで「イサム・ノグチ 彫刻から身体・庭へ」展を見てきました。とてもとても面白かった!自分の中で次々に繋がっていくものがあって,ぞくぞくする思い。
(「彫刻家の手紙」表紙の写真はイサム・ノグチではなくてエドゥアルド・チリーダ《風の櫛》です)
「身体との対話」「日本との再会」「空間の彫刻ー庭へ」「自然との交感ー石の彫刻」の4章で構成されています。「身体との対話」は,そうか,ここが彫刻家の出発点なのか,という驚きに満ちた展示。「中国人の少女」という小さな像は離れた位置から見ても中国人にしか見えない。その存在の核みたいなものがそこにあるからか。そしてブロンズ「伊藤道郎」にはやられました。能面の形態を模していながら,その人でしかない。しかし仮面である,という幾重にも重なった不思議に満ちています。

 そしてこの章では,イサム・ノグチとマーサ・グラハムの関係が展示されていて,それは私にとっては事件(!)でした。8月末にみなとみらいホールで横浜ダンスダンスダンスの一環「音楽と舞踊の小品集」を見に行って(首藤康之がお目当て),マーサ・グラハム舞踊団の折原美樹の”LAMENTATION”を見たのでした。

 展示は,イサム・ノグチが手掛けた舞台装置や「ヘロディアド」の映像などなど,衣装デザインもてがけたらしい。イサム・ノグチが舞台美術を手がけたのは18作品あるらしいけれど,”LAMENTATION”が含まれているかはこれから調べてみようと思っているところです。ネットで検索してダンス関係のHPにノグチのこんな言葉を発見。

 「永遠の時間という独自の世界の中で、舞台上で彫刻に命が吹き込まれるのを見るのは喜びです。次第に空気が意味や感情に満ち溢れ、形が儀式を再現する上で不可欠な役割を果たします。劇場は式場であり、パフォーマンスは儀式です。日常生活における彫刻もかくあるべきであり、またその可能性を秘めています。その一方で、劇場は私に、詩的で高貴な等価物を与えてくれています。」(https://www.hermanmiller.com/ja_jp/stories/why-magazine/dance-partners/)より引用。

 さてさて,「空間の彫刻ー庭へ」では日本の禅宗の寺院の影響がとても面白かった。「スライド・マントラ」の関連ではジャイプルのジャンタル・マンタルの写真に感激。私も行ったよ!「自然との交感ー石の彫刻」の「下方へ引く力」は,あれ,横浜美術館に同じシリーズのがあったはず,と思ったら横浜美術館の所蔵品でした。こんな調子で子どものように興奮してしまった。

 いやあ,楽しかった。ミュージアムショップで「彫刻家への手紙 現代彫刻の世界」(酒井忠康著 未知谷 2003)を見かけて,大急ぎで帰宅して書棚を探しました。

 「彫刻の原点が空間についての思索の運動であるとすれば,人生についての思惟は時間の意識に関連します。空間は未来を,時間は過去(記憶)を暗示しますが,晩年のノグチは徐々に、この「時」の経過が刻む「沈黙」の意味について関心を深めていったように感じられます」(p.42より引用)

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