2022-02-22

2022年2月,東京渋谷,「モンク・イン・ヨーロッパ」

 短い間に立て続けてセロニアス・モンクについて熱く語られる場面に遭遇し,よし,これはちゃんと(?)聴いてみよう。と思い立つ。まずは「5 by Monk by 5」を繰り返し聴いてから,渋谷で公開されていた「モンク・イン・ヨーロッパ」を観る。

 大きな手に驚く。吉増剛造は「詩とは何か」でこんな風に語る。「アファナシエフでも,あるいはマイルス・デイヴィスでもセロニアス・モンクでもそうですけども,このひとたちはとてもゆっくりと演奏することが多いのですけれど,そのときに出てくる音と音とがほんのわずかに純粋に隣り合わせているんですね。そしてそうしたとき,ささやかだけれども思いがけない「純粋な声」が聞こえるような気がするのです。サッチモ,ルイ・アームストロングの濁声がその典型でしょう。これが「詩」というものの本当のありからしい。」(pp.182-183)

 音楽を視覚で捉えることができて,埼玉県美で見た「ボイス+パレルモ」展の最後の部屋にあったパレルモの「無題(セロニアス・モンクに捧げる)」という美しい美しい作品がまざまざと甦る。アンティークフェルメールのブログで紹介されていた「Thelonious Himself」もダウンロードして聴いている。

 ところで,アンチ春樹としては複雑なんだけど,「セロニアス・モンクのいた風景」(村上春樹 編・訳」(新潮社 2014)はとても便利な1冊。著名なジャズ評論家が語ったセロニアス・モンクが読みやすい訳でまとめられている。

  「いちばん孤独な修道僧(モンク)」(バリー・ファレル)のこんな一節が面白い。「40年代の半ばに,モンクの評判はようやくジャズのアンダーグラウンドに地歩を築いた。彼の名前とその謎めいたいくつかの発言(「いつも夜だ。でなければ我々は光を必要としないだろう」)のおかげで,先端を行くジャズ・ファンの目には彼は「ダルマ行者」のように見えた。中国人の苦力帽をかぶり,そんな名前を持った人間なら,クールでないわけがないじゃないか。」(p.184)


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